アトリエ60周年記念『カラムとセフィーの物語』その1

アトリエ60周年記念『カラムとセフィーの物語』 in 文学座アトリエ(10/6,10)

作  マロリー・ブラックマン
脚色 ドミニク・クック
演出 高瀬久男

肌の色の白いノート人カラム・マクレガー(亀田佳明さん)と
肌の色の黒いクロス人セフィー・ハドレー(渋谷はるかさん)は、セフィーの乳母が
カラムの母・メギー(山本郁子さん)という事もあって二人は幼馴染。
月日は経ち、難関を突破してカラムがセフィーの通う高校に入学が決まって、セフィーは嬉しそうです。
けれどこの地はクロス人が支配し、徹底的にノート人は虐げらている人種差別社会。
入学まもなくカラムを待っていたのは、校長(鈴木弘秋さん)を始めとした執拗なクロス人たちによる
いじめの世界。そしてカラム達の方を持つセフィーも同級生から暴力を受けてしまいます。
この事件をきっかけに、カラムとセフィーは、互いの気持ちを確認します。
ところが、過去の出来事により心に傷を持つカラムの姉リネット(鬼頭典子さん)の自殺により
カラムの父・ライアン(大滝寛さん)と兄・ジュード(柳橋朋典さん)は、反政府運動に参加し
ある日、スーパーマーケットで爆破、死傷者を出す無差別テロが起こります。
捕まったライアンは、死刑を宣告され、ジュードは行方不明。
一連の事件により、高校を辞めさせられたカラム。
そして彼はある決意を秘めて家から出て行きます。

現代版の『ロミオとジュリエット』と言ってしまえば、二人の行き着く先が悲劇であるとわかります。
『ロミオとジュリエット』は、憎しみ合う両家の生み出す悲劇でしたが
カラムとセフィーに立ちふさがるのは、圧倒的で露骨なまでの人種差別問題。
1940年代から次々に施行されていった南アフリカの人種差別、白人と黒人を隔離差別する
法律(アパルトヘイト法)を彷彿させます。
当時、幾多の困難を乗り越え白人と黒人の男女が愛し合っても、その先にあるのは
異人種間結婚禁止法、背徳法修正法と、愛し合うこと自体が犯罪行為とされたそうです。

カラムとセフィー以外の登場人物は、アンサンブルを兼ねて休むまもなく
群集となり一つの社会的な集団として映ります。
その中では、今や流行の3D映像を彷彿させる自由自在に現れるリポーター(上川路啓志さん)
から発信される事実を脚色され創作し流し出すニュースが織り込まれ
メディアの影響でより憎しみを濃くしていくおろかな私達・・。
顔の一部分を黒く、または白く、そして○とXのシールを貼ったアンサンブルがその違いで
人種の優越をつける滑稽さを表していました。

カラムとセフィー・・・、愛し合う度に深まる愛情と、その先の未来にはどうやっても、
二人の姿が重ならない人生の悲劇が待受けている事が、絶対的にわかるだけに、
彼らが選ぶ最後の選択は、やっぱり悲劇なんだけど
ラストは静かで清々しい気持ちにさせられてしまいました。
それはやっぱり、私たちが『ロミオとジュリエット』の最後のように両家の罪の深さが
人種差別という、どっから降って沸いてきたか?わからない「諍い」の枠を超えて
愛し合った二人の姿に私達は、憧れと羨望とその痛みを感じ取れるからなのかもしれません。

10/1(金)~14(木) in 文学座アトリエ
by berurinrin | 2010-10-17 17:52 | 文学座観劇感想