文学座アトリエ60周年記念シンポジウム『時代とアトリエ』その2

上演中の野田秀樹さんの『ザ・キャラクター』をご覧になったという高橋正徳さんから
「野田さんが、圧倒的に先に行っていて一人圧勝しているのではないか?」と

そんな高橋さんご自身を振り返って
いわゆるゼロ世代といわれる、平田オリザさんを主流としたアゴラ発の若い才能が
今や開花してる状態。そんな彼らと同世代を生きるノリ君。
わたしは、あまり古典から繋がってくる文化性というか言葉の美しさを感じない作品群に、
残念ながら、実はなかなか興味が湧かないのですが・・
ちなみにゼロ世代については、発売中の「悲劇喜劇10月号」で特集記事があるので
興味を持たれた方は、読んでみると面白いかもしれません。
強烈な個性を持った彼らの言葉は、時にふてぶてしさも感じますが
色んな制約やタブーを越えて、自身のスタイルを作り上げている彼らの言葉は刺激的です。
さて、そんな彼らとは違い10年間は、「丁稚奉公の10年だった」とノリ君。
西川信廣さんや鵜山仁さんら劇団の先輩の演出助手や時にスタッフとして
現場で常に演劇的言語に溢れた場所に身を置いていたと、おっしゃいます。
同じ演出家でも高瀬久男さんと松本祐子さんの演劇の正解は違うし
「色んな正解の中で、自分の正解を模索する」
アトリエの50周年記念で上演された高瀬さん演出『マイ・シスター・イン・ディス・ハウス』に
衝撃を受けて、文化庁の在外研修で英国に留学されていた祐子さん帰国第一弾
ぺンテコスト』(アトリエ169作目)では、
兵士として出演もしたノリ君。そしてこれまたこの作品に衝撃を受けたそうです。

祐子さんからは、バブル経済が終わってコンピューターが入ってきて
どんどん元気がなくなって、つくづく文学座は前衛でないと思ったそうで
色んな表現の時代を経てきて、それらは本当に信じられるのだろうか?
古い物語が好きで、時代と逆行している?そんな、祐子さんの発言は
アンテナを張り巡らせてるからこその不安感を持たれてるのか?
なんかとても共感が持てました。
1990年代は、祐子さんにとって丁稚奉公の日々。
思えば時給100円にも満たなかったそうで、これまたびっくりしましたがf(^_^;)
鵜山さんらの演出助手を経て、2000年に独り立ちした祐子さん。
エンタメだけでなく、幅広く色んなものが観たいという意識が減っているのではないか?
と、今の観客についておっしゃいました。

アトリエの会の上演については、文学座の座員の中で構成されているアトリエ委員会で
企画されるそうです。勉強会や自主企画なども申請して許可が出れば
アトリエを使うことが可能となるそうです。

小田島恒志さんから「台本を読んでも解らなかった(笑)」と、
中野志朗さん演出作『崩れたバランス』(194作目)上演されて初めて意味があることが
解ったそうです。
そんな小田島さんから、最近は翻訳者の紹介をしない。
もしくは曖昧にしている公演が多いとおっしゃいます。
翻訳という作業は、ただ訳すだけではなく
原作に対するリスペクトがあり、原作者の意図を汲み取って、自分の言葉に置き換えていく作業で
翻訳者のご自身の解釈が入っているそうです。
なので「文学座は翻訳者の名前をちゃんと明記してあるのが、ありがたい」・・と
「作者はこう思っているんだろう。と現地で上演しているような雰囲気で訳している」

また山口宏子さんからは、批評家としての視点でのお話。
日本の新聞は、批評が少ないとおっしゃっておられました。そして文字数が少ない。
例えば夕刊でいうと約400万部、人口の約100人中一人が読んでる計算になり
アトリエが20日間の公演で、約3,000人の動員だとすると
つと演劇に関しては、劇場に足を運ぶ方よりも批評を読む方が圧倒的に多いと
おっしゃっておられました。
批評として紹介できるのは、月に3~7本程度。
なので山口さんのフィルターを通して、これはよかったとか、大きく残ったとか
劇場に観にこれない人たちに向って、新聞という開かれた場所で
何かを伝えたい・・そういう気持ちがモチベーションになっているそうです。

祐子さんが、新国立劇場で演出のお仕事で呼ばれた時
当時の芸術監督の栗山民也さんから「朝日(新聞)の山口さんが、良いって言ってたから」(笑)
当時、アトリエの会で祐子さん演出『冬のひまわり』(164作目)をご覧になった山口さんが
「若手で元気のいい演出家はいないか?」と栗山さんに聞かれ
祐子さんのお名前を出されたというエピソードを聞かせて下さいました。
by berurinrin | 2010-08-08 16:24 | イベント