劇団銅鑼『流星ワゴン』の脚本を書かれた青木豪さんを迎えて

『青木豪さんを迎えて』

5/19(水)から始まる例会作品劇団銅鑼『流星ワゴン』に向けて
制作のHさんと作家・青木豪さんを事務局にお迎えしてお話を伺いました。
青木豪さんといえば、1997年に劇団グリングを旗揚げしましたが
去年グリングを活動休止されました。
わたしは、グリングを一度も拝見したことが無いのですが
青木さんといえば、文学座のアトリエの会『エスペラント』を書き下ろされました。
なので、それっきゃ知らない私ですが(そりゃーしょうがないすよねぇ~)
『流星ワゴン』の担当でもあるもんで、それよか、青木さんのお話がめっちゃおもしろかったので、
走り書きで書き留めた事をご披露いたします。

「人前でしゃべる事がなくて、言葉使いが間違っていたらごめんなさい」と
真ん丸い頭でくりんくりんのお目々がキランキランしてる青木さんです。
1997年のグリング旗揚げの時は30歳だったそうで、それまでは役者を目指しておられたそうです。

青木さんは、横須賀の追浜生まれ。
演劇好きなお母様に連れられて、幼稚園の時に、横須賀市民会館で木馬座を観たのが、
観劇デビューだったそうです。
それ以降、芝居が来るたびにお母様からチケットを渡され、家に帰ると感想を伝える・・
自然に芝居に馴染んでいかれたそうです。

大きくなった青木さんは、蜷川幸雄さん率いる蜷川スタジオを受験。
その時は演出部を受験されたそうですが
試験はA4で送られた来た戯曲の抜粋、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』、清水邦夫さんの本、
あとは忘れちゃったという3種類の戯曲のを自ら演出して衣装も付けて、蜷川さんの前で演じたそうです。
案の上、蜷川さんからは「たらたらやって、客が入るか、コノヤロウ」的な(笑)
「とっとと帰れ」的な(笑)事を言われ、落ちたそうです。

で、劇団円の研究所に入所して
半年間は役者の勉強して、半年はとんかちを握っていたそうです。
で、青木さんの演出部付の初旅公演がなんと!横浜の青少年ホールだったそうで
スタッフの人数が足りないはずなのに、近くの県民ホールの仕込みと間違った人たちが
たくさんこられ、わけもわからず結果助かった話をして下さいました。
でも残念ながら3年間の研修生活、25歳になった青木さん。
査定で劇団に残ることが出来なかったそうです。

その後は、バイトしながら役者の仕事もしていたそうですが
役者で出演していた芝居が八王子の鑑賞会が呼んでくれたそうで
それ以来のお仕事だったそうです。

で、役者さんとしての青木豪さんは?というと、自分が演出だったら
絶対使いたくないタイプだったそうで(笑)
演出に何か言われると「それじゃぁ~出来ないなぁ~」的な(笑)
「そんな文句を言うからには、書いてみろ!」と、演出の佐久間崇さんに言われ
「俺の才能に気づいたな」的な(笑)
で、東京芸術劇場を押さえ、旗揚げを決めたそうで・・が、
本番2ヶ月前まで書けず、役者は3名しか集まらず、1年間に800枚も書いたそうですが、
10枚程度でペンが止まってしまい・・で、80本分は書いた・・・と、
過呼吸になってしまうほど追い詰められたそうです。
そんなとき、やっぱり助けて下さったのが佐久間崇さんで
書いた作品の中の約3P(笑)ほどの塾の先生の与太話を話してるシーンがあって
「リアリズムが面白い」と添削してもらい、やっとこさ書けたそうです。
よかったよかった

その後、『中学生日記』の台本を書かれたりしていた青木さん。
劇団銅鑼のHさんとの出会いは、その当時、シアターガイド誌のインタビュー記事を読まれたHさん
(作品を観ずに!と強調された青木さんが面白かったです)からのお声が掛かったそうです。

『流星ワゴン』の戯曲化と同時にグローブ座『エデンの東』(松潤さん主役)の戯曲化の依頼が重なったそうで、『流星ワゴン』は、作家の重松清さんのファンなので
お会いできる機会があるかも・・と、嬉しかったそうですが
『流星ワゴン』の原作には、子供が2人重要な役を担うそうですが
Hさんから「子役は出せません」と言われたそうです。
で、同時に舞台を頼まれた時は、優先順位を「予算が大きい順に書く!」そうで
『エデンの東』から先に取り掛かった青木さん。
映画版『エデンの東』はジェームスディーンが主役の超有名な映画ですが
原作は全4巻からなるお話で、その4巻目が、映画で取り上げられているそうです。
本来は、中国人のリーさんが主要な役らしいのですが、リーさんが登場しちゃうとジェームスディーンが
活躍出来なくなっちゃうから出てこない。
で、グローブ座版でもリーさんが登場すると、松潤さんが活躍できなくなるので
結果、中国人のリーさんの登場は、なかったそうです。
で、この経験から「重要な人を切ることも劇化することには、必要なのではないか」と、
『流星ワゴン』では、一人の子供の登場をきってしまったそうです。
わたしは『流星ワゴン』の原作も未読で作品も観ていないのですが、
会場からは「え~」とざわめきがあったので、きっと子供の役どころはかなりの重要度だったんでしょうね。
原作者で、青木さんがファンだとおっしゃっていた重松さんにお会いできたかと言うと・・
後日、文壇バーというところに連れて行かれた時に、べろんべろんに酔っ払った重松さんが
居られて念願のご挨拶が出来たそうです。ただ、絶対、重松さんは覚えておられない・・・
そう、断言された青木さんでした。

青木さんのお話は、本当に面白くて
小学生の時に宝塚歌劇団『ベルばら』を観て、将来は女になろうと思ったり
歌舞伎で玉三郎さんの姿を見て、男でも歌舞伎の世界に入れれば、女になれると思ったり・・、
ただアングラの世界はご覧になっておらなかったようで
お母様から「アングラだけは見るな!」と言われておられたそうです。
「価値観がわかないのに、価値観が壊れた世界を見てはいけない」・・・。

『流星ワゴン』の話をすればするほどネタバレになる・・そうおっしゃりながら
ついついしゃべちゃう優しい青木さんでした。
話はまだまだ一杯あって、グリング『ジャム』の題名に行き着いたお話だとか
必ず取材旅行に行かれる青木さんの遭遇した面白いエピソードの数々。
下北沢の町を歩いていたら、偶然、劇団新感線のいのうえひでのりさんに遇って
「いつか書いてよ」と、言われたそうで、あんな派手なの書けない(笑)と思ったそうですが、
実現した話や『ガラスの仮面』の劇化のお話で
実は、マンガ雑誌『花とゆめ』の連載一回目を叔母が持っていて読んだ過去を
思い出して「運命を感じた」とか・・もろもろ
メモするつもりはなかったんですが、あんまりお話が面白くってついメモってしまいました。
猫の絵に『豪』と書かれたエコパックを持ち歩くお茶目な青木さん。
帰り道、駅に到着してもまだまだ話が尽きない青木さん。
私ももっともっとお話を伺いたい気持ちで一杯でした。

あっ、でもわたしは一途な女ですから(笑)自己紹介するときに、鵜山仁さんが大好きなベルですと
Hさんからも、「鵜山さんが好きなベルさん」と紹介して頂きましたからっ(笑)

そんな我が最愛の愛しの人(観た人ならお解かり頂けるかな、このフレーズ★)が演出された
『モジョミキボー』は絶賛上演中です。
情報ブログはこちら→モジョ/ミキボーのブログ
by berurinrin | 2010-05-19 00:04 | イベント