対談:演劇とは何か?-クリスティアン・ビエとクリストフ・トリオー著『演劇学の教科書』邦訳出版記念

対談:演劇とは何か?
 クリスティアン・ビエとクリストフ・トリオ著『演劇学の教科書』邦訳(国書刊行会)出版記念 
                                in 東京日仏学院エスパス・イマージュ(6/23)

前回参加した日仏学院での『暴力と演劇サラ・ケインの『ブラスティッド』をめぐって』という
リーディングと講演会に続いて、フランス演劇特集ということで、このイベントに参加してきました。
本当は、その他にもいつもの無料のイベントが開催されていたのですが
平日の夜なもんで、仕事やら鑑賞会の方の担当の仕事やら風邪とか・・遊び(遊びかいっ)の都合があって
全部は参加できず・・職場の地元から飯田橋は、なかなかしんどい(><)
でも・・ぽわ~んとフランスの香りが漂う日仏学院の雰囲気、とっても素敵です★

とはいえ、毎回ながら・・ここでの講座は、レベルが高いっ!
まっ逆に難しいと、くそぉ~わかんじゃないじゃないかぁ~このぉ~と、勝気な性格に火か付くといくか
そんな状況に身を置くことが楽しくなってきたりしちゃって・・
一生懸命メモしたんですが、言葉のスピードやニュアンスの難しさにアップアップ・・。
後からノートを読んでも「これは文章かぁ?」「なんじゃこりゃ」だらけで、本当にヒドイ自分。
なので、いつも以上の勝手な解釈だらけだと思います。
「こんなこと言ってないじゃん」なんてクレームは言わないで下さいね。
さくっと、さくっと寛大な心で斜め読みして下さい。お願いします。

構内2階のエスパス・イマージュの入り口で2ヶ国語同時通訳器をお借りして
ふかふかの座席で通訳器を耳にはめるのに苦戦している間に、講座が始まりました。
『演劇学の教科書』の邦訳版が出版された記念ということで、
著者のクリスティアン・ビエさん、クリストフ・トリオーさん。
同書の後書きを執筆されたエマニュエル・ヴァロンさん。
そして邦訳の尽力をされた早稲田大学准教授・藤井慎太郎さん。
劇団黒テントを経て今年の3月まで世田谷パブリックシアター制作を努められた
松井憲太郎さんの進行での対談形式の講座でした。

2006年にフランスで発行された時、かなり話題になったという『演劇学の教科書』
邦訳には大変な苦労があったそうです。
藤井さんは、昨年1年間パリにおられたそうですが、滞在期間中半分以上
これに関わってしまったそうで、一番大変だったのはフランスの演劇用語を訳す時に
フランス語だと一つの単語が、日本語では、一つに置き換えられる言葉がなく
いくつかの言葉で表現しなくてはいけなくて、そんな言葉が山ほどあったそうです。

同じように、この『演劇学の教科書』の題名にあるル・テアトル=シアターに当たる日本語が
見当たらないそうで、日本語にすると一つの言葉で「演劇をする場」「上演そのもの」
と2つの言葉になってしまう・・それぞれ観客も言葉の意味を含んだ形で、理解している為に
日本とフランスの演劇における現状の対比として考えられた。と、おっしゃたのは松井さんで、
世田谷(パブリックシアター)でこれらの事を言い表す時には
「公共権として機能する劇場」と表現されたそうです。
松井さんは、この講座の為に急遽『演劇学の教科書』を読破したそうです。すげー
実は私も前日に購入したのですが、700P位あって、それも2段で書かれていて、重くて・・
片手で持て読めましぇん・・・。でも読んでますよ!必死で(笑)バス停で、バスを待つ間・・・
丁度、会社の後輩から借りていた文庫本「トワイライト」(←吸血鬼と人間の恋のお話。これが
意外と面白かったです。)を読み終わったばかりだったし

松井さんが、世田谷パブリックシアターの以前に在籍しておられた「劇団黒テント」というのは
1960~70年代アングラと呼ばれる実験的な前衛芝居を上演する劇団。
突出した形で演劇と政治を考えつつ演劇製作をされておられたそうです。
わたしは、拝見したことはありませんが、去年、東工大での鵜山仁さん♪きゃぁ(←つい反射的に!
う~ん会いたいっ!!・・すいません)の講座のなかでも、演劇の流れの中に出てきた劇団でした。

で、今回の対談は「政治と演劇」が大きなテーマとなっておりました。

藤井さんは、演劇を文化・芸術の枠に収めず、けれども文化・芸術である演劇と時代時代の政治と
切り離す事は出来ない・・と、おっしゃいます。
たとえ、作り手が(政治を)意識しなくても、政治的な意味を含む場合があり、
また含んでいる場合があるそうです。

ということで、クリストフ・トリオーさんエマニュエル・ヴァロンさんクリスティアン・ビエさんが
それぞれ20分くらいのスピーチをして下さいました。

トリオーさん
20世紀から後半にかけて、演劇は、さまざまな権力を持っていたそうです。
それは「人々を開放するもの」としてのツールとして、活動家としての演劇、戦う演劇、社会に介入
したい演劇・・それらは、主にブレストの影響があったといいます→フランス風ブレスト主義。
60年代から70年代にかけて、政治的に現実的に効果があったそうで、政治的に分析し
観客に理解させることで、さまざまな支配(政治)的な考えに対立してきたそうですが
現在は、効果が薄れ演劇自体がマイナー化してきたとおっしゃいます。
今まで社会に影響してきた演劇でしたが、他のメディアの発達に押しやられた形となり
民衆に向って発信していた演劇が、国のシステムに取り込まれていったとおっしゃいます。
世代の交代や政治的なメッセージをする事による批判やそれ自体の危機感。
イデオロギーは衰退し、過去と同じやり方ではいけない。
これらは、フランスだけではなく世界的な現象であるそうです。

ヴァロンさん
現在は、社会においてメディアが権力を持った為に、権力が複数存在する状態であるとおっしゃいます。
メディアと競争するだけでなく、さまざまな言葉の側面を取り、新しい手法の中で
演劇の別のスタイルを見出さなければいけないとおっしゃいます。
戦後から現代にかけて、政治的な表象ということで
公立な演劇は、どんどん整備されていくにつれ、どんどん制限されていく・・それに反発する形で
又、新たな実験の為のさまざまな試みが行われる・・・
その場として、フェスティバル、演劇祭が重要であるとおっしゃいます。
何が今、演劇の世界で重要か?演劇全体をとらえ直す必要がある。
もっとも演劇で何ができるか?何を望むのか?
演劇と政治は切り離せない、ながらも
観客は、演劇に対して直球な政治的なものを求めてはいない・・・・。

ビエさん
開放を行なう演劇という事を、2つの作品を例にとって、映像を使いながら紹介して下さいました。

2006年ベルギーの劇団の作品。(題名は聞き流してしまいました・・)
舞台は、アウシュビッツ強制収容所。囚人姿のユダヤ人が看守に撲殺され、その死体を囚人服を着た
ユダヤ人がリヤカーに乗せられ何処かに運んでいるシーン。
よくみると彼らは人ではなく人形達です。小さな小型カメラで人形達を映し出し
観客はスクリーンで、目撃者の様にこれらを観ることになります。

告発のするための演劇であり、怒りや憐憫だけではない
また自己主義になってはいけないとおっしゃいます。

もうひとつは、『ルワンダ94』
TVキャスターがルワンダに取材に行って、事件を理解していくというお話のようですが、
これはルワンダで起こった紛争で、フツ族がツチ族に対して行なった大量虐殺の事件。
元を正せば、ヨーロッパ諸国の植民地の問題から起こっていて、
演劇によって、過去の我々の罪を理解させていく真実・・
そして死者に対するオマージュであり、政治的なものであるといいます。
この作品は、ベルギー、パリで上演され、紛争が終わって10年後(2004年)なんと、
ルワンダでも上演されたそうです。
芝居は、まず一人の女性が20分程、観客を前に体験した出来事を話します。それは
告白であり証言を語るそうです。
ヨーロッパで上演した時は、観客は芝居としてこの演劇をとらえたそうですが
映像は、ルワンダでの上演でのシーンでした。
女性が語り終えたとき、観客席は嘆きの声と号泣の嵐・・その異様さにびっくりしました。
・・全ての観客が泣いていたそうです。
モノローグが終わると、静かに生演奏が始まりました。音楽は民族音楽のようです。
彼らにとって、この作品は10年前の自分の姿を映し出す儀式に近い行為だったそうです。

2時間の予定が20分位過ぎても、まだ話を聞いていたい・・わからない事だらけなのに
何か感じていたい・・そんな講座でした。

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読み進めると、面白いですよ。
舞台の初日、舞台の幕が上がる時、観客のわたし、作家のわたし、演出家のわたし
役者のわたし・・・いろんな立場のわたしの視点が描かれていたり・・・観客を含めた演劇の
書物という感じです。もし、興味がありましたら★わたし当面持ち歩いていますから(笑)
by berurinrin | 2009-06-27 01:08 | イベント