世界文明センター『芝居の役割 演出者の役割』1

世界文明センター『芝居の役割 演出者の役割』 in
東工大・大岡山キャンパス 西9号館2Fディジタル多目的ホール(12/16)

講師 鵜山仁

鵜山さんの追っかけとしては、やっぱ行っとかないとねっと、いうことで
東京工業大学の構内にある世界文化センター主催の
鵜山仁さんの講義に参加してきました。

初めての場所は、どーしても迷う・・・今回は、時間もギリギリだし
迷わないように、地図をちゃんとコピーして手元に持って
初めての大岡山駅に降り立ち、目的の場所に向ってかつかつ歩いて行ったのは
いいのですが・・・道は暗いし、人がいない?!
がーん、やばいかも・・・
と、思った目の前の建物から、鵜山さん始め数人の方々が現れまして・・
恥ずかしいけどラッキー!!と、わーいわーいと浮かれながら、鵜山さんご一行の後ろを
怪しげにちょろちょろと、くっ付いて会場まで無事辿り着きました。

最初に世界文化センター、センター長のロジャー・パルバースさんから
ご挨拶がありました。
このシリーズは3年目で映画監督は来られた事があるそうですが、
舞台演出家の方は初めてとの事、ロジャーさんご自身も演出をされる方らしく、
嬉しそうに鵜山さんを紹介して下さいました。

第一声は「えーと、鵜山仁といいます。よろしくお願いします。」
と、壇上に上がって片手にマイクを持って講義が始まりました。
舞台演出を生業としている鵜山さんが、なんでこんな事態(笑)人間になっちゃた?!と
順を追って演劇史的史筋からお話をして下さいました。

鵜山さんの高校生時代は68.69年熱い時代だそうで、その高校の文化祭が原点。
すぐ上の先輩方が、バーバラ・ガーソンという方が書かれた『マクバード』
(アメリカのJFKがダンカンに見立てたシェイクスピアの『マクベス』の焼き直しぽっい・・)
や福田義之さん作『袴垂れはどこだ』、別役実さん作『マッチ売りの少女』など
当時としては先鋭的な芝居をやりながらデモをやってる先輩方を見ながら
安部公房さんやピランデルロ氏の芝居をやっておられたそうです。
(ピランデルロさんといえば新国立劇場で公演された『山の巨人たち』ですね)
ピランデルロさんといえば、彼の作品集には副題が付いていて
「マスケラヌーベ」(裸の仮面)・・それは、日常を生きる私たちも
夫や会社員、演出家とかの裸の仮面を付けて生きている、演じてる=俳優。
役を演じる俳優と同じことではないかと考えで作品を書いていた方だそうです。
当時は、授業が終わった教室が稽古場となり、怪しげ(笑)な芝居をやっていたのが
日常で、要は勉強がしたくなかったそうで(笑)
勉強やら、受験勉強をしていた同じ教室内で、芝居の稽古をすることが
何か演じている自分・・世の中の相対的な目を養われたという自覚症状があらわれた
そうです(ひねくれた目(笑)ともおっしゃっていました)
鵜山さんにとって、ピランデルロの作品との出会いが強烈だったんですね。
わたしも『山の巨人たち』は、とっても刺激を受けた作品でした。

鵜山さんが東京に上京してきた70年代。
唐十郎さんの状況劇場「赤テント」や佐藤信さんの「黒テント」寺山修司さんの
「天井桟敷」などアングラや出口典雄さん主催「シェイクスピア・シアター」
新作の時代としては、つかこうへいさんの時代。
当時、文学座には見向きもしないで(笑)、これらの芝居を楽しまれていたそうです。
というのも、いままで舞台でしゃべれなかった言葉が、しゃべれるようになっていき
おおげさに云うと「言葉が開放されていく」感じを目の当たりにしていた時期だったそうです。
例えばということで、演劇原語の開放として
鵜山さんの中で大きかったと言われた、つかさんの存在。
そんな70年代半ば、皮肉にも舞台芸術学院を卒業されて文学座に入り、
演劇を生業として現場に関わるようになったそうです。

演劇の魅力とか役割ってなんだろう?ということで、現在の鵜山さんの事を話されました。
1991年に新国立劇場が出来て、芸術監督の鵜山さんとしてのお仕事は
9月から翌年の8月までのシーズン制で、年に8本位のプログラムを作るのがお仕事。
そこで2008~9年のシーズンの隠しテーマが「劇場の中のフィクション」だそうで
9月には三島由紀夫さんの『近代能楽集』、10月がピランデルロ作『山の巨人たち』
12月がコルネイユ作『舞台は夢』。
鵜山さんが良く使われる「不思議な国のアリス」に出てくるウサギ穴を例えて
いったん劇場という落とし穴(ウサギ穴)に入ってしまうと、
こちら側とは全然違う世界観が広がっていて、現実の中で通用することが意味がなくて
それは逆のことも云える・・
舞台で人が死んでも本当は、ウソであることがわかっているけど
もしかしたら現実で死を体験しても、鵜山さんにとって学生時代にピランデルロの影響を
受けていると、現実の死さえ知らず知らずに演じているのかも・・と、浮かぶそうです。
現実世界の中にフィクションが存在しているのかな?!と想像することができる・・
夢のような話ですが・・と、前置きがあって、現実に死に遭遇した時に
又別の世界に通じる楽屋とか楽屋裏とかがあったりして、死んだはずの人が
ぴんぴんしているかも・・と考えたりされるそうです。
現実とは180度違うバーチャル世界が劇場であるとおっしゃる鵜山さん。
深い言葉が多くてメモが、追いつきませんf(^_^;)

今、鵜山さんのお仕事の場は国の劇場である新国立劇場ですが
そこでやるお芝居、アート全体は国家・行政など
制度に取り込まれたテクノロジーではなくて
むしろ変化を促す・・・制度を解きほぐすアルコールみたいな、
「華やかな毒」・・お薬でありたいと思っておられるそうで、そういう既存の制度や
価値観とかどうも衝突が避けられない面があると思われると、そして
既存の制度や価値観にぶつかり合いを楽しむというか、自由な精神がないと
アートは死んでしまうと・・演劇の神様とお酒の神様が一緒!
なんか納得するお話ですね。

芝居で主人公となりうる人というのは、どちらかというと敗者、賊軍とかを
切捨てないで、官と賊とか男と女とか、昼と夜・・生と死とか
色々な対立する価値観のぶつかり合いを面白くしたたかに表現し続けるというのが
アートの得意技なんじゃないかな・・と、ただ対立してるだけじゃなくて
違う空気・・温度とかガスが浮かび上がってきて、それら遊びだのクッションになるそうで、
それが無いと、ただの対立だとすると、わたしたちが
生きていくのに息苦しくなるので、やってられない。
そういう遊びだのクッションだのが、政治とか環境だとか・・ただのアートじゃなく
言葉とか芝居とか演劇とか、いわゆるコミニュケーションの有象無象の存在意義では
ないのだろうか?!とまたスポーツも似たような役割だと思われるそうで
新しいコミュニケーション技術としてのアートを発見することが
鵜山さんにとって、芝居をやってることの楽しさなんじゃないかなと思われるそうです。

新国立劇場で公演された木下順二さん作『オットーと呼ばれた日本人』の
中の日本語の台詞を一部英語に翻訳されたのが、センター長のロジャーさんで
それが縁で、今回の講義に運びになったそうです。
で、『オットー・・』話で、共演者の紺野美沙子さんがいらしているとご紹介をされてから
この作品のなかで「あれか、これか」。
「あれか、これか」というのは、デンマークの哲学学者キルケゴールさんの日本語訳の
著書の題名だそうで、オットーの生きた時代を例えて話されます。
ゾルゲ事件を題材にした尾崎秀美さんを題材にしたお話でしたが
結果、祖国日本を裏切る羽目になった悩める主人公の心情を表した言葉でもあり
「あれか、これか」の一つを選ぶためには、「あれか。これか」の一つを捨てなくては
いけない・・という瀬戸際に立たされた立場の主人公の台詞を引用されました。
どーしても欲しいものを手に入れるためには、
どーしても欲しいものを捨てなくていけないという
「あれも、これも」という飽食な今の時代に対して、かなり醍醐味のある出来事。
そういう状態の中に身を落として変わっていくのが懐かしく感じたりしたそうです。

面白い芝居の条件・・と、いうことで
まず第一に「変化」とおっしゃいました。
アメリカの大統領選挙以来「変化、変化」とみんな言い出したけど
「僕は、もうちょっと前から言ってました」と、茶目っ気たっぷりにおっしゃいます。
ところで何を「変化」とみるか?人によって様々に違いがあっても
そもそもどこに向って変化していくのか?とか
誰が何の為に?引き起こしてゆくのか?と、なると大きな問題になる、と
良い変化とは=「より良い変化を引き起こす変化」と禅問答みたいと
おっしゃりながら、「根本的な変化を引き落とす変化」というのが
芝居だけじゃなく、日常のコミュニケーションを面白くする第一原則ではないか?
そこで70年代半ばに影響れた、つかこうへいさんが言葉を開放させていたと
話が戻り、つかさんは「ブス」という言葉を(台詞は「ブスに市民権があるか」)
初めて戦略的に舞台に乗せたそうです、
きっと、つかさんは「決まった視線からの偏りを鮮やかに批評」したのでは?!と
簡単にいうと、「体裁や見てくれだけないい子だけを見ているだけじゃ
世の中面白くないぞ」と言っていたんではないかなと、おっしゃいました。
顔一つとってみても、自分は他人とは違うと、一つ一つをとってみて
それぞれの個性を、ダイナミックに捕えるべきで
世の中とか、自分とかに変化を及ぼしていくエネルギーになるんじゃないかな?
美人とブスの対決というのは、演劇の基本力学の一つで
つかさんの前からあった、根本的に価値観のぶつかり合いということ。
演劇に変化が大事というのは、言葉を変えると
「何かを捨てること」
昨日までの自分を捨てることで、新しい自分と出会う
刻一刻と出会いと別れを繰り返して、最終的な究極の別れは「死」というもので
「死」によって、この世から自分たちが消えてしまうのだけど
一見そうはみえるのですが、その先の出会いがどう結びついているのか?!
先程のウサギ穴」のお話に戻って、死の先には、違う世界があって・・・・
永遠と繰り返されているのかな?!
最近、DNAの話とかでちゃうと、まんざら夢でもなく真剣に考えられてるそうです。

さて、ここで『父と暮せば』のラスト約10分程のビデオが上演されました。
初演のすまけいさんと梅沢昌代さんのコンビのものです。
現在は5代目。初演からずっと演出されてる鵜山さんです。
「これ観るの久しぶり(笑)」
そしてセンター長のロジャースさんは「THE FACE OF ZIZOU」と英訳され
たお方だそうです。

12/16(火) in 東京工業大学 大岡山キャンパス西9号2Fディジタル多目的ホール

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by berurinrin | 2008-12-18 23:23 | イベント